조운선 침몰에 관한 「조선왕조실록」의 기록
▣ 「太祖實錄」4년 8월 戊辰 忠淸道漕運船十艘, 慶尙道漕運船十六艘, 遇風摧敗 충청도 조운선(漕運船) 10척과 경상도 조운선 16척이 바람을 만나 파선되었다. ▣ 「太宗實錄」3년 5월 辛巳 慶尙道漕運船三十四隻, 沒于海中, 人死者甚衆。 萬戶使人搜之, 依島而生者一人, 見之而走, 追執之, 問其故, 答曰: "欲遯去薙髮, 離此苦也。" 上聞之, 嘆曰: "責乃在予。 豈非驅萬人就死地乎? 五日, 於陰陽爲受死, 且風氣甚惡, 非行船日也。 知其風惡而發船, 此實驅民而就死地也。" 問左右曰: "人之死者幾, 米之失幾?" 左右不能對。 上曰: "大槪幾何?" 左右對曰: "米則萬餘石, 人則千餘名。" 上曰: "米雖多, 不足惜也, 人之死者, 甚可憫也。 其室家之心, 爲如何也? 漕運之苦如此, 船軍不堪其苦, 而逃散宜矣。" 右代言李膺曰: "陸轉則其難尤..